彼らが米国国内のみならず世界に示した「楽して儲ける」方法とは、以下のようなものがあった:
伝統的な金貸し(利子配当);健全な資本投下による利子や配当の受け取りならまだしも、世界銀行(World
Bank)やIMF(International Monetary Fund国際通貨基金)といった国際機構を通して、開発途上国に資金を貸付け、高金利で回収するといった、貧乏人からもむしり取るやりかたは、それを見聞きした人の心を暗くする出来事である。
世界中に儲け口を探し、資本を投下して利子や配当の収入を得るために、米国政府の手を通して世界に圧力をかけ続けているのは、「解放された市場」という名目の下での「資本の自由化」である。海外からの資本投資を制限している国は、未開の、時代遅れの国として米国から非難されることとなった。金融の自由化の名の下に、他国の金融業を手に入れることも、資本の自由化、つまり自分達の銭を世界のどこでも自由に暴れまわすことができる手段として必要であった。
弱みに付け込み底値買い(利ざや稼ぎ);バブルの崩壊後の資産を、底値で買取った後に何らかの手で価値をつりあげ、高値で売り払うといった、相手の弱みに付け込んでのいわゆる「禿げ鷹ファンド」のやりかたが典型であろう。
株価のつりあげ(利ざや稼ぎ);株価をつりあげて、売買の利ざやを稼ぐ伝統的手法。バブルとは、経済活動の加熱と証券市場の狂騰が掛け合わされたものであり、株価の高騰はまさにバブルの象徴である。吹いて吹いて吹きまくり、一般投資家を巻き込んで株価を吊り上げ、うまく売り抜けば、まさに一攫千金であった。
M&A(利ざや稼ぎ);禿げ鷹ファンドもその一つといえるだろうが、これはバブル中に横行した、企業を買い取り、資産をばらして売り払ってしまうという、やくざそのもの活動である。彼らにとって、そこで働く従業員の存在などは考慮する対象にもならず、企業は売買して儲ける一つの物体に過ぎない。
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かつては、野球のメジャーリーグ球団は、野球が好きでたまらないといった金持ちがオーナーであったと聞いている。今はそのようなオーナーは少なくなり、球団が儲かるかどうかしか関心のない金持ちの持ち物となっている。自動車が好きでたまらないという人が自動車会社を買収するなら、まだ話は納得できるが、残念ながら通常は、「良い車」を世にだすなんて情熱とは無縁の人が、儲かるかどうかだけで判断して買収することになる。そのような資本家の下でその自動車会社がどのようになっていくかは、容易に想像できるところでる。 |
低金利預金・高金利貸付;低い利子で預金を集め、高い利子で貸し付けるという銀行の「通常業務」。先に述べた世界銀行のやりかたもこれに同じ。
為替を変動させる(利ざや稼ぎ);通貨そのものを動かしてその利ざやを稼ぐのも、楽して儲けるための常套の手段である。変動為替相場は、規制の緩和、市場の自由化の名の下に遂行され今日誰も疑わないシステムとなっているが、製造業にとってはこのシステムは極めて嫌なあほらしい存在である。営々とコストダウンに励んでいても、為替の変動だけで利益が吹き飛んだり、あぶくの利益がでたりと振り回されることになる。為替の変動は、「通貨」を商品として売買する人々のもうけ場として必要なシステムなのだ。
ドルを弱くして国債を返済する;例えば米国国債を1ドル180円の時に日本の企業、例えば生命保険会社に買ってもらう。米国はその金で飲み食いする。10年後、20年後の返済のときには、ドルを弱くして、1ドル100円の水準に持っていく。いくら高い利子をつけて返済するにしても、その為替差額で充分なお釣が来る勘定になる。笑いが止まらないだろう。
IPO(創業者に相乗り利益);株式市場に上場して、保有株を高値で売り払う。苦労して起業してその見返りの報酬なら話は分かるが、成長途上の会社に投資して、上場させて、がっぽり稼ぐという、いわゆるベンチャーキャピタルの手口。(IPO:
Initial Public Offer)
発明のローヤルティ徴収;パテントを取得しておいて、他者がその発明関連分野で事業を展開しているところに権利主張し、ライセンスを与えローヤルティを取る。自分ではその発明に基づいて製品開発し、販売するなどの汗水は流さない。「スマート」である。
賠償金稼ぎ;権利主張を裁判所に持ち込んで、賠償金を巻き上げる。このとき、両サイドにつく弁護士にとってもこの「訴訟産業」は不可欠の稼ぎ場。
儲けた後の対策:税率を下げる
このように楽して稼いだお金を、税金にガッポリもって行かれてはたまらないので、当然このような収入(capital
gain)に対する税率は国の政策として下げられることになる。勤労所得に対する税率よりも株の売買で稼いだ利益に対する税率の方が低いという現象は、まともな人々には大きな失望感や、やる気の喪失をもたらしていると想像できる。まじめにこつこつと働いている人よりも、金融市場で利口に立ち回り大金を稼ぐ人の方が「ヒーロー」としてもてはやされるような社会が健全であるわけがない。
土俵作り
知識産業(Knowledge Industry)、脱工業(Post Industry)化時代の喧伝も、この「楽して儲ける」方式の援護として必要であった。
*industryには、産業という意味と工業という意味の二つがある。
モノ作りに敗れた腹いせで、製造業は時代遅れ、と宣伝しまくった面が無いでもないが、本当の目的は、このように「情報、知識、知恵」に基づいて「楽にガッポリ稼ぐ」ことの正当性をアカデミックな装いで飾ることであった。これに駆り出された大学教授の姿も滑稽であるが、モノ作りで食うしかない日本で、この「理論」の太鼓持ちをした人の姿には悲しさが伴う。この「知識産業」の宣伝は、この後述べる、知的財産権重視の背後からの支援でもある。
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経済学者の中には、社会科学というアカデミックな装いの下に、単に、金持ちの取り巻き、その太鼓持ちをつとめているだけの人がいるので、もっともらしいその「学説」なり「理論」に騙されないようにしなければならない。また、自分ではアカデミックなつもりで、意識せずに、したがって無報酬で、実際はマネー信者のお先棒を担いでいる滑稽な学者も多い。 |
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